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澤風(さわかぜ/さはかぜ)は、日本海軍の駆逐艦。峯風型駆逐艦の2番艦。「沢風」と表記される場合がある。艦名は澤に吹く風に由来する。 == 艦歴 == 三菱造船(株)長崎造船所で建造。一等駆逐艦に類別。 1920年(大正9年)12月、同型艦「峯風」「矢風」「沖風」と共に第2駆逐隊を編成し、第2艦隊第2水雷戦隊に編入された。 1930年(昭和5年)11月、第2駆逐隊は第1航空戦隊に編入し、空母「赤城」直衛として不時着機の救助を行う、いわゆる「トンボ釣り」に従事した。 1932年(昭和7年)、上海事変において、長江水域での諸作戦に参加。1935年(昭和10年)4月、館山海軍航空隊の練習艦となり、1938年(昭和13年)12月に予備艦となった際にも同航空隊練習艦として各種飛行訓練に協力。 1939年(昭和14年)11月、横須賀鎮守府練習駆逐艦となる。1941年(昭和16年)9月、再び館山航空隊付属として各種飛行訓練に協力した。 1942年(昭和17年)3月から、館山を拠点に東京湾口で対潜掃討に従事。4月17日、御蔵島沖でソ連船セルゲイ・キロフを拿捕し、伊東へ連行〔柴田武彦、原勝洋、『日米全調査 ドーリットル空襲秘録』、アリアドネ企画、2003年、ISBN 4-384-03180-7、182ページ〕。11月8日、横須賀に入港し訓令工事を行う。12月には室蘭までの船団護衛や東京湾口での対潜掃討に当った。 1943年(昭和18年)3月30日、横須賀工廠に入渠し5月29日まで修理を実施。6月には横須賀 - 神戸間の船団護衛を行い、7月は横須賀から室蘭まで船団護衛を実施。12月16日から翌年1月13日まで横須賀工廠で修理工事を行った。 1944年(昭和19年)1月14日、横須賀を出港し東京湾口で船団護衛を実施。2月から尾鷲を基地として紀伊半島方面での対潜掃討、船団護衛に従事。12月18日、横須賀港に戻り、海軍対潜学校練習艦となった。 1945年(昭和20年)2月4日、 横浜に入港し、3月18日まで対潜実験艦への改造工事を実施。5月5日、第1特攻戦隊の特攻攻撃訓練目標艦となり、横須賀において無傷で終戦を迎えた。9月15日に除籍され、船体は福島県・小名浜港で防波堤に転用された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「澤風 (駆逐艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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